
[連載] カジノとの出会い(4)
それから数カ月間、私とべンは勝っていた。そして朝一に鳴る代理教員のオファーの電話を無視するようになった。当時ブラックジャックテーブルで稼いでいた25ドルの時給は、教室で稼ぐ時給の2倍だったのた。2人のバンクロールが膨れ上がるのを見るのは、その時まで経験したことがないスリルたった。それまで私は、生涯好きでもない仕事をして、(できれば)老人になるころには十分な蓄えができて引退するものたと思っていた。当時、起業家精神を教えてくれる人などいなかったが、私が夢中になったのはお金を稼ぐことたけではなく、自分の運命を自分で決めているという事実だった。働く気になれないときは、グレイスと適当に遊んたり、24(トウェンティフォー)』の最新シーズンを一気見したり、友達といろいろなバンド演奏を楽しんたりしていた。将来のための蓄えをより早く増やしたければ、労働時間を増やせはいいだけたった。私は完全に投資に熱を上げていた。そして、その熱は二度と冷めることはないと気づくのはもっと後のことだった。数カ月後、新しいメンバーが加わった。べンの旧友、ジェフたった。その時点で2人の1万1000ドルのバンクロールは2万5000ドルまで大きくなっていたが、それでも小規模な私たちのチームにジェフは2万5000ドルを追加投資してくれたのだった。その後も相変わらず勝ち続けた。2カ月ほどプレイした後、私たちは「バンクロールを締めて」、利益を分配した。そして、お祝いのために妻たちとディナーに行き、一週間の休暇をとって次のバンクロールへの投資額を考えることにし(ここで私が「バンクロール」と呼んでいるものは「バンク」としても知られているが、どちらも同じ意味である。これは1人または複数人による一定額の投資でありプレイの軍資金となる。目標利益を達成するとバンクロールを締めて、そのすへてが投資家たちに精算、返金される。私は以前からそうしているように当ブログにおいても「バンクロール」という言葉を用いている)
その数週間を、私はぼ一っと過ごしていたわけではなかった。ドン・シュレシンジャーの『ブラックジャック・アタック(Blackjack Attack)』をはじめ、ブラックジャックに関するより高度な本を読みあさっていたのだ。そして読めは読むほど、カードカウンティングについての包括的な理解が深まっていった。
さらに、ブラックジャックのシミュレーションソフトウェアの使い方も学び始めた。カジノのあらゆる要素が勝率に与える影響をシミュレーションで検討し、チームのプレイ方法を調整した。
スタンフォード・ウォンは彼の著書で時給20~24ドルを稼ぐことができる条件のテーブルが存在すると述べているが、シミュレーションを通して検証してみると、それよりもはるかに有利な可能性があると分かった。バンクロールを増やし続けていけば、そのうち1時間あたり50ドルや100ドルの稼ぎ、またはそれ以上の可能性まで考えられるようになった。4万ドルの初期投資が10万ドルに増えるまでにそれほど時間はかからなかった。私たちは1べットの上限が100ドルのカードルームにとどまらす、上限が500ドルの大規模なネイティプアメリカンのカジノでもプレイするようになった。この時、またグレイスはカジノに入ることができなかったが、私が考えた「短期投資戦略」に関しては完全に賛同してくれていた。私とグレイスは収益を何に使うか長いこと話し合い、「ニ大贅沢」をすることに決めた。その1ーーグレイスは歯科医の受付の仕事を辞め、衛生士の免許をとるため学校に戻ること。その2ーー私は新しいジャケットを買うこと。そうなのだ、この私が100ドルもするブランドのジャケットを買ったのだ。人生で購入した最も高い服たったが、ジッパー付きのポケットのおかけで5000ドルや1万ドルを簡単にカジノに持ち運べたし、まあ、よしとした。ある夜、ディーラーに「お客様はモデルですか?」なんて聞かれたぐらいたから、やっぱり買ってよかった。
