
[連載] カジノとの出会い(3)
ウォンの本でカードカウンティングの詳細まで理解していた私は、たたたた彼の指示どおりに実行してみた。基本戦略と応用戦略(基本戦略から逸脱した戦略)を暗記カードに書き込み、1デッキのカードでカウントを練習し、無料オンラインカジノでブラックジャックをプレイし続け、地元のカジノやカードルームに行き、低レートテーブルで練習を繰り返した。1ハンドに5ドルすっ賭け、状況が有利になると1ドルをそのべットに上乗せした。当時を振り返ると、ド下手間違いなしである。テーブルに同席した女性客は笑いながら中国語で、何か私のことを話していた。ディーラーは、私がいかに場違いであるかを知っているかのような目で私を見ていた。私は自分の最大べットである10ドルをベッティングサークルに置くたびに心臓が飛び出しそうになった。あの時、一体いくつのミスを犯していたか考えるたけでぞっとする。当時でさえ、自分の戦略が勝てるレベルに達していなかったことは分かっていた。たた、とりあえす自宅で習得したことを実際のカジノの環境で試してみたかった。そして何より、それまで感じたことのない何とも言えないハイな気分になっていた。
運に恵まれ、最初の1週間で500ドルぐらいプラスになった。天にも昇る気分で、友達にも自慢してしまった。たが当然、無論、断然…次の数週間でその500ドルのすべてを溶かしてしまった。それ以上負けるわけにはいかず、私はカードカウンティングを封印し、芽吹いたはかりのグレイスとの関係と、安定的な収入を得られるレッド・ロビンというハンバーガー屋のウェイターの仕事に集中することにした。
忙しい日々が数カ月過きたころ、私はハンバーガー屋の仕事を辞め、代理教員のバイトでギリギリの生活をしながらグレイスと結婚した。しかし、そんななかでも私は無料オンラインカジノのソフトウェアを中心に、自宅でカードカウンティングの練習を続けていた。そのソフトウェアは、プレイミスをしても、カウンティングがズレても、また不適切なべットをしたとしても、そのいすれも知らせてくれる代物ではなかった。しかし、当時はそれぐらいのツールしかなかったのた。当時を振り返ると明らかに練習不足たったが、それでもその時の私はブラックジャックのすべてをマスターしたと自信を持っていたし、何としてでももう一度カードカウンティングに挑戦してみたいと思っていた。私はグレイスを説得し、銀行口座の残高の3分の1(2000ドル)をバンクロールにした。それが溶けてしまったら、諦めるという約束たった。たた、代理教員のバイトがない日にブラックジャックで少しでも利益を出せれは、収入を上ける希望の光が見えるのではないかと期待をしていた。
グレイスは、私があっという間にこの2000ドルをすってしまうたろうと考えたが、それで気が済むならそれでいいとも思っていたようた。相変わらす冒険好きのグレイスたったので、彼女はこの挑戦を許可してくれたのたった。しかし、当時彼女はまた21歳に達しておらす、一緒にカジノに足を踏み入れることはできなかった。そこで、私は代理教員の仕事がなく、かっグレイスが時給10ドルの昼間の仕事に出かけている間たけプレイすると彼女に約束した。ブラックジャック復帰のその日は2つの出来事が起こった。ひとつは、またまた覚えることが山ほどあるということを自覚した。正しいアクションをうつかり忘れたり、カジノ特有の刺激に気を取られ、カウントを覚えるのと同時にハンド合計の計算ができないことカ吩かった。もうひとつは、バンクロールが4000ドル、つまり倍になった。運に恵まれた復帰初日の後は、100時間プレイしてもその結果はトントンたった。自宅では、間違いをしなくなるまで基本戦略と応用戦略の暗記カードを何度も復習した。ハンドの合計を瞬時に暗算できるよう、毎日運転しながら目に入るナンバープレートの数字を足し算するようになった。そんな日々を重ね、数カ月が過きたが、腕は少しすつ上達していたものの勝てるレベルではなかった。そして、頭の中では疑問はかりが増えていった。べットは1カ所か、それとも2カ所か?新しいプレイヤーが途中参加してくる場合はどう対応すべきか?他の参加者とプレイしているときも、自分一人でプレイしているときと同じべットをすべきか?何時間プレイすれはいいのか?テーブル移動のタイミングは?帰るタイミングは?他に何か見逃していることはないか?答えを求め、私が知る唯一のカードカウンターであるべンに毎日10回は電話し、嫌われるほど彼を質問攻めにした。グレイスは、すぐ溶けるたろうと見込んたお金が何とか増えたことを喜んたが、私の計画自体には、またいまいち乗り気ではなかった。
当時、そのままプレイを続けていたら、間違いなくあの2000ドルはなくなっていたはすたった。しかし、私はこの状況を好転させる大変幸運な出来事に恵まれた。私が独学の泥沼にはまっていたころ、1990~2000年代において最も優秀なター(ひたすらカウンティングを行い、プレイヤーに有利なンティングをしていたべンに目をつけ、彼をチームのスポッカードカウンティングチームの一人が、地元のカジノでカウタイミングで仲間に合図を送る役目)候補としてスカウトし、特訓を始めたのた。そのチームはメンバ-候補者に厳格なテストを課しており、べンは最初のテストに落ちてしまった。しかし彼は諦めす、優秀な先輩たちから必死に学び、トントンの勝率レベルからピカイチの腕前となって、そのテストに合格したのたった。その後、彼はチームの高レートブラックジャックの出稼き旅行に同行したのたが、そこで彼はチームの流儀や環境が自分には向いていないと気づいた。そこで、私は彼をしつこく説得し、バンクロールを合わせて(私の4000ドルとべンの7000ドル)2人でプレイすることに
べンは私をテストしてくれたのたが、見事なほどに不合格たった。カウントを2回もミスし、ディーラーの支払いの間違いに気づかす、応用戦略プレイも見逃してしまった。いやいや、恥でしかなかった。しかし、後々分かることたが、の「最悪の出来事」は私にとって実は「最高の出来事」たったのである。つまり、自分が犯しているミスにようやく気づくようになり、修正することができたのた。

